爪先は前に向けておく

人生を肯定したい奈良大1回生のブログ

京大を受験できなかった話、それからのこと

落ちたら死ぬつもりで高1から勉強して、一時期はB判定までいった志望校・京都大学を、受験することができなかった。高3の秋冬に家出と自殺未遂を繰り返し、何度か警察のお世話になって、精神科ではギリギリで強制入院を免れた。共通テストの朝、行きの車中で過呼吸を起こし号泣して、試験を受けずに家に帰ってきた。

 

就職を考えたが、地元はド田舎なので高卒求人は製造業か事務しかなかった。アカデミアの道に進みたいという夢をどうしても諦めきれなかったので、浪人してもう1年京大を目指そうかとも考えたが、それを決断する覚悟と自信が私にはなかった。八方塞がりの中、進路を相談した知人に奈良大学の受験を勧められた。曰く、私には奈良の雰囲気が合っているという。人生の岐路におけるアドバイスにはあまりにも不似合いなふわっとした理由だったが、他に寄る辺がなかったのでとりあえず試験を受けた。一時期は机に向かうたびにパニック発作を起こしていたため最悪会場に救急車を呼ばれることも覚悟して行ったが、何の期待も不安もプレッシャーもない試験であり、且つ問題がそう難しくなかったため無事に3科目の受験を終えることができた。結局、受験したのは奈良大学文学部だけであった。

 

受験を終えても、合格通知が来ても、浪人するか進学するかギリギリまで迷った。浪人を決断するには精神面と体調面で抱えた不安が大きすぎた。しかし、奈良大学に喜んで進学するには、私はあまりにも予備校の偏差値至上主義的価値観に染まりすぎていたのだ。なかなかに壮絶な家族会議の末、両親の希望を呑む形で奈良大学への進学が決まった。入学金納入手続き締切日の、前夜のことであった。

 

私はとにかく人生の至るところで躓きまくってきた。小・中は不登校、高校は奇跡的に地元でいちばんの進学校(いわゆる自称進であったが)に合格するも3ヶ月で起立性調整障害になり不登校になった。通信制高校編入し、京大を目指して勉強し、前述の通りB判定まではいったものの精神と体調に不調をきたして挫折している。ついでに自殺にも数度失敗しており、そのたびに親や周囲の人間に迷惑をかけながら生き恥を晒している。死ぬのもそう簡単ではないと知ったときは心底絶望したが、向精神薬によって持ち直した。あんなに激しかった気分の落ち込みが嘘みたいに消えた時は、医学の進歩に驚嘆したものである。同時に自分自身の思考や感情を化学物質によってコントロールし得ることに得も言われぬ虚しさを感じたが、まあとにかく薬と時間の経過によって死ぬことができないならばせめて今この生を肯定したい、という思いが芽生えた。それがこのブログを始めたきっかけでもある。

 

このブログの目的はふたつある。第一に、生活や勉強を記録することでそれらの質の向上をはかること。第二に自分の感情や思考を整理し、自分の人生を肯定する一助とすることだ。ブログ名はヒプノシスマイクの楽曲「stella」から拝借した。今の自分の状態、置かれた環境に対して多々思うところはあるが、どこであれ前を進んでいかなくては。その決意としてこの記事を公開しておく。