爪先は前に向けておく

人生を肯定したい奈良大1回生のブログ

奈良大学を辞めることにした

入学1ヶ月、奈良大学を辞め、京都大学文学部を目指すことにした。奈良大学への進学を心より祝福し応援してくれた各所に申し訳ない気持ちはあれど、友人と奈良の地に後ろ髪を引かれる思いはあれど、本当にこの環境で得られるものを手放して後悔しないのかという冷静な損得勘定あれど、それらを全て引っくるめて悩んだ結果、やはり来年京都大学を受けたいという気持ちになったのでそうする。私は今まで自分のことをプライドが高い反面、実のところ臆病で面倒臭がりで刺激よりも安定を求める人間だと認識してきたのだが、その見解を改めるべきであろう。自分、めちゃめちゃギャンブラーです。やや退屈だとしてもそれなりには楽しく平穏で将来もある程度担保されている環境から、一度は降りた勝率の低い死闘に再び突っ込んで行くのだから。

 

奈良大を辞めようと思うにいたった理由はいくつもある。語学のレベルが低い。歴史関係の授業は興味深く面白いが、一般教養には物足りなさを感じるし、あまりにも教職を取る人向けの内容で閉口してしまった。入りたかったサークルは活動しているのかもわからない。なによりその雰囲気。皆真面目で大人しく、あまりガツガツしていない。希望の進路――学芸員か教職か司書か公務員――を見据えて1年時からきちんと勉強している。私にはそれが耐え難かった。こんなの、地元にいるときと何も変わらない。私が大学生活に一番に求めていたものは自由だった。田舎の優等生の価値観をブッ壊して欲しかった。たとえ落ちこぼれることになっても優秀な学生に揉まれて、世界の広さと自分の卑小さを知りたかった。時間と体力と若さが有り余った大学生のときにしか許されない無茶をしてみたかった。

 

奈良大学で、今の環境で、求めていた大学生活を送ることはできない。そう気付くと、捨てきれなかった京都大学への思いがどんどん膨らんでいった。ひとつは自由の校風への憧れ。そして、去年受験すらできずに終わった後悔。教授がレジュメを読み上げるだけのつまらん授業中に過去問を解くようになった。もう死んでもやるものかと思った数学の教科書を開いた。やっぱり難しい。でも何かしらの手応えがあって、久しぶりにああでもないこうでもないと頭をひねるのは楽しかった。私はやっぱり、京都大学を受けたいと思った。

 

奈良大を辞めて京都大学を受けたいと伝えると、父親はもう仕方ないと言った。それならば、どうしても諦めきれないのならもう仕方ないと。母親は泣きながら、親より先に死なないなら何をしても良いから、と言った。両親が私のことを思って奈良大に行くよう勧めてくれたのは痛いほどわかっていた。もう無理をし過ぎてある日突然死のうとすることがないように。奈良という恵まれた地で好きな歴史を勉強することができるように。将来、やりたい仕事に就けるように。今まで両親に本当に心配と迷惑をかけてきたから、それに応えたい気持ちもあった。今度こそ安心して欲しかった。 

 

だけどどうしてもどうしても今いる場所を愛せなくて、京都大学を諦めきれなくて、平穏より刺激に満ちた日々を望んでしまう。親不孝で申し訳ない。良い大学を出て親を安心させたいとか、周りに一目置かれたいとか、そんな取ってつけた口実は今度こそ言えない。本当に自己満足の為だけの退学と再受験だ。それを最終的には認めてくれた両親に、心から感謝している。

 

明日、退学の手続きをしてくる。