爪先は前に向けておく

大学を辞めました

日記 24.11.7

前回の記事からよくなったり寝込んだりを繰り返し、気付けば11月である。冬は朝起きられなくなるから嫌いだ。

 

毎日死にたくて泣いている。死ぬのは京大落ちてからやればいい、と頭でわかっていても飛び降りたい衝動は止まらないし、どうせ落ちるし今死んでも変わらなくない!?みたいに思うのもやめられない。先日私に必要なのは京大合格ではなく適切な治療とカウンセリングを受けることだ、と言われて、マジでその通りだと思い何も言えなかった。

崩落

先週の土曜日以来布団から起き上がれなくて、悪夢を見ながら浅い眠りにしがみついているか、ぼろぼろ涙を流しているか、みたいな1週間を送っていた。自分の意思とは関係なく不安と悲しみが襲ってきて、涙を流すしかなかった。殺してくれ。5階の窓に足をかけ身を乗り出してみたが下は往来が絶えず私が飛んだら誰かを巻き込んでしまいそうでそのまま窓を閉めた。そもそも5階じゃ死ねないか。

 

今まで躁だったところから落ちたんだと思う。びっくりした、こんなに重力ってキツかった?ってくらい身体が起こせず、目の周りが荒れるくらい涙がでた。祖母がせっせとおかゆを炊いてくれて、かろうじて食事はとれたし風呂も入ってたけど、今も全然しんどくて泣きながらこれを書いている。明日は全統共テ模試で、受けなきゃいけないけど、正直電車に乗れるかどうかもあやしい。死にたい、そればかり考えていて、やっぱり私は駄目みたいだ。

日記 24.10.12

今日は1日体調が悪くて寝たり起きたりしていて、本当に駄目だった。カウンセリングの予定はキャンセルしたし、友達の誕生日も祝えなかったし、勉強もしなかった。今日頑張れなかったことが辛くて悔しい。毎日努力を積み重ねることで肯定していたものを自分でブチ壊してしまったことが苦しい。私は頑張っていないと自分を許せなくて、でも頑張っているだけでは駄目で結果を残さないといけないらしいので人生は罰ゲームだと思う。本当は可及的速やかにこの世とおさらばしたいが、しかし私が死ぬと家族が不幸になり、それは本意ではないので死ぬわけにもいかない。親を看取り、墓と家と土地を片付けることはやらなきゃいけないし、それまでは生きているつもりだが、やりたいことも生きる意味もないし、マジで苦しいので早く楽になりたい。幸せになりたい訳では別にない、とっととこの苦しみから解放されたい。ここで言う苦しみとは、現在は受験や病気や家族関係として発現しているものだが、実は人生の本質であり、すなわち形を変えて私の前に現れ続ける悪魔である。受験が終われば、病気が良くなれば、実家を離れれば幸福になれる、と思えば努力の原動力にもなるが、苦しみは終わらない、形を変えて私の前に現れ続ける、生きている限りずっと苦しい、早く楽になりたい。勉強します。今更京大に受かるとも思っていないが、努力していない状態は苦しいので。(努力していれば苦しくないわけではない)

 

解脱したい

日記 24.10.2

気がつけば共通テストまで残り100日強となった。相変わらず数学が不得意であるため、今はひたすら基礎問題精講――その名の通り基礎学習のための参考書で、およそ京大志望がこの時期にやるべき難易度ではない――を解いている。基礎がふわふわなので今はこれをやるしかない。着実に土台を積み重ねれば必ず飛躍できる、と自分に言い聞かせている。

 

受かるわけがないと毎日思っている。なかば諦め、開き直りの境地である。去年はB判定をとっても不安だった。受かるかもしれないが落ちるかもしれない、そのふたつの可能性の間で引き裂かれそうになった末、死ねば受かることも落ちることもない、という天啓を得て自殺未遂に及び、受験そのものをしなかった。今年はもう受かる可能性なんてほとんどないとわかっているから、大して焦りも絶望もしていない。それはそれとしてもうちょっと勉強時間は増やすべきだが。漠然ともう1年を考える。なんとなく就職したくなり近隣の葬儀会社の求人を調べる。ずっと私の中にあった、偏差値の高い/有名な大学に行って周囲の人間に賞賛されたい、優秀だとみなされたい、という欲求は今はほとんど感じない。自分のことをなんの根拠もないのに漠然と大丈夫だと思うことが多くなった。これが心理的な成長なのかアリピプラゾールの継続服薬の結果なのか一時的な躁状態なのかはわからない。わからないけど、この感覚を大切にしたい。

 

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

「地上絵」橋爪志保

生存報告

長らく更新が途絶えていたが生きています。ドクターストップにより6月頭に行ったのを最後に予備校をやめ、しばらく自宅療養をしていました。体調や、将来や諸々を鑑みて9月からふたたび、京大文学部を目指しての受験勉強を再開しました。まだ楽しい。これから先どうかるかはわからないけど、今のところは。

日記 24.6.8

ここ数日というもの、友人たちが心配して連絡をくれたり、ご飯に誘ってくれたりすることに本当に助けられている。私の事情を知っている数人にも、そうでなくても一緒に時間を過ごしてくれる友人らにも心から感謝している。ありがとう。

 

自分が双極性障害かもしれない、というのは数年前からうっすら思っていたことだが、改めてその可能性に直面した衝撃は大きかった。自分の思考や情動、それに基づく決断や行動が精神の病気のもとで行われてきた/今も行われている、と考えると、足元がぐらぐら揺らぐような寄る辺のない気持ちになる。一体どこまでが本来の自分の性質によるもので、どこからが病気の影響なのだろう。そもそもそのような線引きは無意味なのかもしれないが。色々なことを考えてしまって、過去の後悔や未来への不安に押しつぶされそうになる。死にたいな、と思うだけではなくて、つい口にも出してしまった。友人には叱られた。ごめんね。これも脳のバグなのだろうか。

 

病気のこと

どうやら私の肉体と精神における一連の不具合には、双極性障害という病名が与えられることになりそうだ。まだはっきり診断が下りたわけではないが、主治医とそんな話をした。先日通院したにも関わらず今日またメンタルクリニックに足を運んだのは、2日前に気分の落ち込みがひどくなって少々危ない行為に及んでしまったからだった。ちなみに今はかなり元気だ、ちょっとおかしいくらい。私はこの状態のことをハイと呼んでいるのだが、これがいわゆる躁状態なのだろう。一昨日の夕方自殺未遂をして、昨日は本当に眠くて比喩ではなく1日中寝ていた。今朝も起きるのがしんどくて予備校を休んだのだが、二度寝して起きてTVerで好きな俳優が主演のドラマを再生したあたりでパチリとスイッチが切り替わるように、気分の落ち込みが消えた。

 

(完全に余談なのだが、私は恋愛ドラマがあまり好きではない。ロマンチックラブイデオロギーに批判的なせいもあるし、恋愛よりも興味深い事柄や関係性や感情がたくさんあるにも関わらず、恋愛だけが特別視されている現状が気に食わないという理由もある。しかし私の好きな俳優は若い男性なので、恋愛ドラマにキャスティングされることが多く、悩ましいところだ。)

 

話を戻すと、突然パチリと鬱が消え、勉強の意欲が戻ってきたのだが、そうはいっても今日くらいは大人しくしておこうとベッドに戻った。昼食は、ここ2週間くらいの慢性的な食欲不振のためあまり胃に入らず、カニカマやヨーグルトを食べてお茶を濁しておいた。午後にはメンタルクリニックに足を運び、主治医とかなり長いこと話をした。主治医は私に、あなたは頑張りすぎだ、勉強を離れて休養すべきだし、受験なんて無理してすることではない、と言い、まさにその受験のために大学を辞めて実家に戻ってきた私はそれは出来ない、と言い返した。それは出来ない。今辞めるわけにも休むわけにもいかない、と。ちょうどハイになっていたのでよく頭が回り、口も回った。マイルドな言葉で入院を勧められたが断り、勉強を休んで自宅療養して来週また来る、という落としどころをもって本日の診療は終わった。診療を終えて、買い物をして、家に帰ってきてもまだハイは続いているから、今回の鬱は終わったと見ていいだろう。好きな俳優のおかげで一時的に超元気になったとかではなく。

 

先週木曜日に予備校を休んでからちょうど今日で1週間。勉強できないから気持ちが落ち込むのか気持ちが落ち込むから勉強できないのか、因果関係はわからないのだが、1日5、6時間しか勉強ができなくて、それがとにかくしんどかった。努力できないときがいちばんつらい、とは前にも書いたがその通りで、そういった人間と双極性障害というのは大変に相性が悪いと思う。躁状態のときはいくらでも頑張れるのに、鬱になった途端本当に、本当に頑張れなくなってしまう。次に鬱が来るまでどれくらい元気でいられるかはわからないが、走れるときにできるだけ走っておきたいと思う。そうやってこの波を乗りこなしていくしかないみたいだ。